公益財団法人 奥内陶芸美術館

公益財団法人 奥内陶芸美術館

〒561-0884
大阪府豊中市岡町北 3-8-1
06-6852-3842

 

営業時間 10:00-16:00

作家紹介

濱田庄司

黒釉柿流大鉢

濱田は明治27年に川崎市溝ノ口で生まれた。
学生時代に生涯の友であった 河井寛次郎と出会い、恩師であった 板谷波山の家にあった益子の山水土瓶に魅せられ深く感動したという。
大正5年に京都市立陶磁器研究所に入所し、釉薬調合の試験研究に没頭する傍ら、柳宗悦、バーナード・リーチ、富本憲吉、志賀直哉らと交流した。
濱田自身が「私の陶器の仕事は、京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と述べたように、濱田は沖縄や英国を経て益子で創作を極めた。
濱田は益子の土や灰を用いた日常雑器の素朴な美しさを追求し、民芸運動を進め、創作活動に邁進した。昭和31年に重要無形文化財「民芸陶器」の保持者(人間国宝)として認定され、健全で力強い美の実現に生涯を捧げた。

琉球赤絵茶碗
掛合釉扁壺
柿釉抜絵組重

島岡達三

白釉象嵌大鉢

島岡達三は大正8年に東京都港区に生まれた。
昭和16年に東工大を繰り上げ卒業し、翌年ビルマへ出征している。終戦後、益子の濱田庄司に入門し、濱田は「個性が大切で、真似はやめなさい」と指導し、その指摘が縄文象嵌を生み出すことになった。
父親が組んだ縄文用の組紐と李朝三島手の技法によって作品が仕上げられていく。違った材質感を求めて研究を続け、高温焼成し、耐火度を高めるために複雑に素地を組成した。
平成8年に重要無形文化財「民芸陶器」の保持者(人間国宝)に認定され、原日本的技法をもとに民芸の精神の流れを伝えた。

象嵌耳付壺
掛合釉扁壺
赤絵角瓶

富本憲吉

白磁壺

明治19年奈良県生駒郡に生まれた。 明治37年から翌年にかけてのイギリス留学後、生まれ故郷に戻り、大正2年から楽焼窯を築き、本格的に陶芸をはじめた。
バーナード・リーチと「模様から模様を作らない」と誓い合い、楽焼、土焼を経て磁器制作に至った。この時期の作品には、皿や陶板などの比較的平らな面の多い作品が多い。
大正15年に東京に転居し、轆轤を通して白磁大壺などを作陶した。「陶器=立体の美術」という富本の考えを実践していった。
昭和21年以降には京都を本拠として、色絵金銀彩の作品が目立つ。
昭和30年に重要無形文化財「 色絵磁器」の保持者(人間国宝)に認定され、模様と造形の高次元での調和を求め、陶芸を芸術としての工芸に至らしめた。

河井寛次郎

鉄薬呉州扁壺

明治23年島根県安来町に生まれた。
学生時代に生涯の友であった 濱田庄司と出会い、 板谷波山の指導を受けた。
東京高等工業学校卒業後は京都市立陶磁器研究所に入所し、釉薬調合の試験研究に没頭し、中国陶磁器などの研究を行った。
大正9年に五代清水六兵衛の技術的顧問を務めていたことから彼の窯を譲り受け、作陶を開始。
大正23年にイギリスから帰国した濱田庄司に、イギリスのスリップウェアを紹介され、民芸思想に共感することになった。
パリ万国博覧会、ミラノ・トリエンナーレ国際工芸展にてグランプリを受賞。豪快な作風と鋭い色感で内外に高く評価されている。

楠部弥弌

王城花瓶

明治30年京都市東山区に生まれた。
大正7年に粟田口の工房において本格的に陶芸に取り組みはじめ、河井寛次郎らと交友をはじめた。 後に、八木一 艸、川村喜太郎ら 有志とともに陶芸研究団体である「赤土社」を創立し、陶 芸の研究を行った。
大正14年には柳宗悦の民芸運動に関心をもち、民芸品の収集をはじめた。その作陶の造形美から京都陶芸界の王座を占めていた。